中国国有企業における「経営者不在」ないし「自立性欠如」 -企業改革の方法論とその背景にある経営理論についての日中比較-

要約

中国の経済改革は1979年12月に始まり25年経過した。言うまでもなく国有企業改革は終始注目される課題の1つである。残念ながら、改革に成功した国有企業は極めてまれである。WTOの加盟に伴って規制緩和の拡大を進める中、国有企業改革は大詰めを迎える段階に入って来た。これまで国有企業改革に関しては、制度上の問題や社会体制の問題を指摘することが多い。まるで国有企業のトップが制度的構造的な欠陥の犠牲者のようであり、その主な責任は主体性のない行政にある、という議論に終始するにとどまっており、隔靴掻痒の感が否めないように思う。

計画経済体制の中での中国国有企業の体制は、日本企業の経営と同じような特徴を持つ。すなわち長期雇用と年功序列である。にもかかわらず、日本企業は現場を重視し、ボトムアップ型ゼネラリストの集団であるのに対して、中国国有企業は徹底的なトップダウン型スペシャリストの集団である。国有企業の経営者は行政志向であり、管理者や従業員はTOP服従志向である。なぜそうなるのか。本稿では、これまで議論の焦点に当ててこなかった国有企業トップにスポットを当て、日中比較の視点から中国国有企業の経営の特徴やその背後にある経営の論理を洞察し、国有企業改革問題の本質をあぶり出す試みにある。

本稿では、日本的経営の特徴及びその背後にある経営の論理と比較することによって、旧中国国有企業のそれら明らかにした。いずれも長期雇用、年功賃金などといった企業運営の基本となる制度が導入されているにもかかわらず、経営の仕組みやそれを表わす経営の特徴は全く異なっている。その違いをもたらす根底にあるのは、経営の論理の違いにあることが明らかにされた。株主重視より寧ろ長期安定経営志向、現場重視の志向を基礎とする生産本位の志向と品質の漸進的革新、責任曖昧の有機的組織編成、現場からの参画的経営など、日本企業の戦略行動や内部組織の最も顕著な特徴として広く認識されている。これらの日本的経営の特徴の背後にある経営の論理は、関与の論理と暗黙性の論理にあり、それが日本企業の競争力の源泉であり、戦後の復興を齎したと思われる。

それに対して、旧中国国有企業の経営の特徴は、より単純であるように思う。それは、中央集権のもとで徹底的なトップダウン経営が行われ、行政から派遣された経営者は行政の言いなりの国家・行政志向、一般管理者や従業員は明示された持ち場で指示通り仕事をこなす上意下達の服従重視である。その背後にある経営の論理として、「明哲保身・各尽其責」の論理と、「明文規定」の論理がその根底にあることについて論じた。この経営の論理は、国有企業改革を実行して以来25年この方今日至るも、依然として根強く残っているように思う。

この日中経営特徴及びその背後にある経営の論理の違いを念頭において、中国国有企業改革の本質問題を吟味することにした。本稿では、国有企業改革の最も深刻の問題は、実質的な自立型経営の不在にあることを指摘した。この経営不在をもたらした原因として、次の2つ側面から考えることができる。一つは、これまでしばしば指摘される政企分離は集団公司の段階にとどまっており、旧制国有企業の縦型意思決定構造はまだ強く残っているため、すなわち行政と企業との分離が徹底されていないため、トップに事実上経営権がない、という意志決定構造の問題である。もう一つは、企業トップの多くは、行政への経営依存の安易性に溺れ、トップ自身の経営に関する概念の不在もしくは認識不足、いわば責任の逃避ないし自立性の欠如にあるように思う。とりわけ企業トップの責任逃避ないし自立欠如は、経営者不在さらに国有企業改革にあたってさまざまな問題をもたらす最も本質的な問題であるのではないかと考える。国有企業改革を成功させるには、これまで経済学界で議論してきた行政と企業の分離、旧制の縦型意志決定構造の徹底にプラスアルファが必要である。それは、企業組織の一人ひとり、とりわけ経営者の責任感及び自立性である。

では、国有企業トップの経営に関する概念の不在もしくは認識不足、責任ないし自立性の欠如は、先天的であるのか、後天的に形成されたのであろうか。経営の論理は、具体的な経営システムと慣行を通じて伝承される。それは、経営制度の進化の中から生み出されたものであり、経営のシステムと慣行の歴史的な発展の産物である。機能し存続する経営制度や経営システム、慣行は、一定の社会文化環境や政治秩序に適合しなければならない(加護野、1988)。25年に亙る国有企業改革を推進して来たにもかかわらず、国有企業トップは依然として、行政への経営依存、すなわち経営者としての自立性や責任感が欠如している。しかも、こうした事が社会的に当たり前のこととして寛容されている。それは、思考様式の根底が特定の歴史的伝統的社会文化に根強く影響されているということにほかならない。日中企業の経営特徴及びその背後にある経営の論理の形成・定着には、一定の歴史的伝統文化的背景があるのか。それはどのようなものなのか。この問題は少し掘り下げて検討される必要がある。

そもそも長期雇用、年功序列は1930年代、米国を中心として世界各国で導入された企業制度であった。結局、日本の伝統的な社会風土に適応性を持ったため、日本企業の運営の基本となり、戦後経済復興に大いに貢献した日本的経営の特徴として広く認識されることになった(笠谷、2002)。彼は、徳川時代の「武士道の思想」が現代日本文化に根強く影響しているからである、と指摘する。武士道の思想の本質とは、ボトムアップ型の諫言制度、現場重視などといった点に特徴つけられる、忠誠心と自立性との両立である。現代日本企業の多くでは、戦略ビジョンや意思決定のトップダウン型組織が徐々に浸透すると同時に、現場判断を重視する現場の意見が、重要な意見として意思決定の基礎となる。こうして一見して矛盾あるいは対立する意思決定のあり方が日本企業でうまく機能している。背景にある個々人の強い責任感及び自立性が、職務、責任、権限を意識的に曖昧にしておくことを可能とし、許容する。参画的経営と関与者の論理、暗黙性とある種の曖昧性が有機的に機能することが可能となる。この武士道の思想こそ、現場重視や稟議制度など経営システム及びその背後にある経営の理論の根底であると考えられる。経営の論理は経営の制度と実践のイデオロギー的な基盤であり、戦後において日本的経営の形成は必然的であるともいえよう。

それに対して、本論考では、トップダウン型意志決定のあり方、企業トップの国・行政志向、一般ミドルや従業員の服従志向などは、中国国有企業の特徴であることが分析によって指摘された。中国建国当時、農村人口が大半を占め、地域格差が大きい経済社会では、企業の国有化及び国有企業の形成に適応した計画経済の体制を作り上げた。当時の社会基盤から見ると、最も合理的な経済体制である。こうした経済体制の中で、個人が組織に、組織が行政に忠誠に従うことが求められ、指示通りの生産活動が行われてきた。それによって、中国国有企業の経営者の行政志向や、管理者や従業員の服従志向が形成され、さらに未だに根強く定着していると考えられる。

こうした計画経済体制に求められた企業・個人の行動は、偶然にも儒家の論理をもとにした個性のない「家(国家)至上」の家族制度に合致した。社会学の視点から孔子の思想は、社会構造理論上の地位、役割の規定に属するものである。人々は社会構造体の中で、異なる立場によって異なる役割を演じ、その立場に応じた行動を取るのである。この儒家の人間関係は、社会構造の中のあらゆる階層の人が実際に守らなければならない決まりとして論理的に展開されている(エン、1999)。一種の人間関係を規定する論理規定として、異なる立場によって異なる役割を演じる際の階層関係の処理方式は、より抽象的より文化拘束的であり、「各尽其責」の重視などによって特徴づけられる中国文化に深く根ざすものと考えられる。こうした階級の厳格な礼儀規則と行動範囲が伝統的な思想様式として根強く伝承され、国や行政は君主であれば、国有企業トップは家臣である。中国国有企業の経営者の行政志向や、管理者や従業員の服従志向の背後にある論理と考えるのであれば、彼らの行動の理由が理解できるだろう。

「各尽其責」の重視などといった伝統的な思考様式は、長期にわたり経営の基本構造の基盤となっていた。とりわけ計画経済の初期段階、家臣としての企業トップには自立性が要求されていない。しかし、今日の複雑化になりつつある経営環境の中で、現場の実態を把握できない行政の言いなりになるのは、責任からの実質的逃避となる。自主経営の拡大に関する産業政策は、企業トップの自立性を求めることを意味しているとも理解できる。企業トップとして派遣された国有企業の経営者は行政の言いなりではなく、企業の経済合理性の立場から自立的に意思決定を行い権限を行使し責任を負うという自立的経営を実践するべきである。なお、国有企業の経営者の本質的ではないが補完的役割として、行政の産業政策を改善修正発展せしめるために、企業経営プロセス中で起こった問題を一刻も早く行政に発言し、現場実態により反映する行政改革方針を提案して、政策の軌道修正に貢献することも求められる。しかし、企業の論理と行政の論理はしばしば矛盾する。国有企業経営者は企業の論理を優先し、行政の論理を排除出来る地位の独立性と経営者としての社会的影響力が大きい地位にあるという社会的責任を果たすのが孔子思想の創造的な伝承のではないだろうか。

同じことであるが、ミドルや現場従業員にも当てはまる。異なる立場によって異なる役割を演じる、いわば「各尽其責」は、それぞれがおかれた立場でより真実な現状を上層に反映し、経営判断や意志決定の材料になる。現場の事情に適合しない誤った経営判断や意志決定に諫言するのは、本来の意味の忠実ではないかと考えられる。こうしたそれぞれの立場で忠実と自立性の両立した経営は、より健全的なもののではないだろうか。

日本企業の経営の特徴及びその背後にある経営の論理と比較することによって、経営者不在とそれをもたらした責任逃避と自立性の欠如は、中国国有企業改革の最も本質問題である。これまでの改革は、国有企業改革ための外部環境の整備に過ぎず、責任と自立を持つ経営を行って初めて、実質の国有企業の改革が始まる、というのは、本論考で発信するメッセージである。

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高瑞紅

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