戦間期、在華紡の経営-内外綿会社-

要約

現代の日本企業の国際経営の原型は、戦前の在華紡に求めることができる。本稿は、両大戦間期において、最大の在華紡であるとともに、中国最大の紡績企業であった内外綿(Naigaiwata & Co.)を取り上げ、中国におけるその経営実態を明らかにしている。
1920年代前半から中盤にかけて、日本の紡績企業 の中国に作った紡績工場が操業を始め、すでに先発として中国で長年操業をしていた内外綿の競争者となった。さらに、中国人紡績会社の中には、紡績工場経営 の合理化を着々と進めるものが現れた。こうした競争の激化に対して、内外綿は合理化を推進するとともに、それに基づいて全製品分野で高付加価値化を図っ た。
そのために、日本からの技術移転を積極的に行った。 多数の日本人社員を駐在させ、彼らは管理者として中国人労働者を直接管理した。工場は、労働者が中国人であることを除けば、全く日本の工場のごとく運転さ れた。しかし労働者のリクルートと工場外での日常生活は、外部化し労働者請負人にゆだねた。彼らは、上海の社会ネットワークの青帮のメンバーであった。こ うした方法で現地工場を運営し、その安定的操業に成功した。
こうした経営は、多数の日本人の派遣による技術移転と製品高付加価値化の点で戦後の日本企業の国際現地経営と共通している。しかし、現地従業員への管理的権限の移譲を全く行わなかったという点では違いがみられ、それが戦前の日本企業の国際経営の限界であったと考えられる。

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桑原哲也

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